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茶108章-CHA 食前食中食後の茶 45章/食文化とお茶

     和風料理を特集した雑誌などを見て、ときどき奇妙に思うことがある。器もなかなかよく、料理の品も申し分ないとして、膳のわきにお茶がおかれていないのである。お茶が日常的すぎて忘れるのか、食事のあとのものと思ってのことなのかはともかく、お茶をそえた和風料理の写真はあまり見かけないようである。これは奇妙なことではないだろうか。
     どんなそまつな食事でも、日本の食事には、昔からお茶がついたものである。それは日本の食文化の型だった。この型を古いと考えるのは当たらない。一般に生活的な文化は、長い時間をかけてつみ重ねられた経験から生み出され、その中でもっとも合理的なものだけが型として残っていくものだからである。
     たしかに、日常の食事に高級な煎茶を使ったりしない。ごく普通の茶を普通にいれて食膳に向かい、食事の前に、まずお茶を一口飲む。口の中がさっぱりして、食べ物の味がすなおに味わえるようになる。途中でも、またお茶を口にふくむ。直前に口にしたおかずの匂いや味を、お茶でさっと洗いおとすようにして、つぎの味を楽しみながら食事をする。それは普通のお茶にしかできない役割である。食事がすむと、今度は、ゆっくりと味わうためによいお茶をいれる。そこには、心とからだの健康をめぐる経験則をベースにした、生活上の美意識が働いている。
     お茶が食事にとって欠かせない一部分であることが、しばしば忘れられてきているのではあるまいか。
     食文化は、生活文化でありながら、きわめて総合性が高い。その意味では文化の名に値する本当の意味での文化である。そして日本人の食文化は、実際にも、世界のさまざまな食文化の中でとりわけ高いレベルにあるといってよいだろう。
     日本人の食文化がまれに見る繊細さをもって完成された背景には、わたしたちが毎日口にする家庭料理さえ、生活上の諸要素を総合する志向をもっていたことが上げられる。そこには、栄養のバランスはどうか、好きかきらいか、「今日もコロッケ、明日もコロッケ」になっていなかといった種類の問題だけでなく、自然と人間の関係に対する考え方までふくまれてきていたのである。
     たとえば、大晦日の夜の料理を例にしてみよう。たしかに大都市、とくに古くからの商業都市などでは、大晦日は一年でいちばん忙しくもあり、食事を簡単にすませようとしたことから生まれた習慣―年越しそばだけなどという例がないわけではない。しかし、大晦日の夜の料理が一年で最高のご馳走であるような生活習慣の地域では、今日でも各地に残っている。その夜、家族たちは銘々膳をあらえられ、一年に山の幸・海の幸が、可能なかぎりそのままの姿で、できるだけ刃物を使わない方法で調理されて、だされる。この食膳には、お茶と酒がかかせない。そこには、明らかに自然信仰が影をおとしている。そして、日本人の食事は、古くからそうだった。
     一夜あけて正月。若水で茶を点て、梅干、山椒、昆布、黒豆などを入れて飲む。一年の悪気を払い、縁起を祝ってする大福茶である。
     生活の中には、さまざまなお茶があるのである。 出典:茶108章-CHA